ゼレンスキーの戦略
- 2022年10月10日
- 独り言
「1対1では絶対敵わない」、圧倒的な国力や資金力、戦力格差をバックグラウンドとしてウクライナでの紛争は始まった。
当初は、数日でケリがつき、首都陥落やゼレンスキー大統領の暗殺、あるいは国外逃亡などのシナリオも多くあった。
そこから考えると、もし負けてしまうと数百年あるいは未来永劫に帰ってくる保証もない(北方領土と同じで)自国領土を守るためには、欧米を味方につけ(あるいは欧米から指示を受け)世界を巻き込んだゼレンスキーの戦略は致し方ないと思う方も多いだろう。
しかし、庶民は関与しない「軍 vs 軍」だけの戦いと比較すると、徹底抗戦という民間人も巻き込んだ「国家 vs 国家」に戦闘レベルが上がった場合には、いわゆる「お国のため」という考え方から、必然的に国民の犠牲者数は最大化する。日本にもまだ痛い記憶として残っているが、この差は歴然だ。おそらくロシアに戦術核を使用される場合よりももっと自国の人命が失われるリスクが高い戦略だ(欧米は全く痛まないが・・・)。
第二次世界大戦の核兵器使用を容認することはあってはならないが、核被爆国である我々日本人も改めて考える必要があるのかもしれない。
ゼレンスキーは喜劇役者だったと聞く。欧米によって手渡された主演ゼレンスキーの台本には、「ゼレンスキーや家族の身の安全」>「民間人の命」という選択肢はなかったと信じたいし、彼が悲劇役者として後世に名が残るようなことにはなってほしくないと願う。
いろいろなものをブ厚めのオブラートに包んで、民意に寄り添った言葉使いではあるが、結果として最大の犠牲者を出す結果となるであろう、このゼレンスキーの選択については、今後の歴史がどのような判定をするのか興味深い。